芝生の思い出

小田原謡子



 イギリスの芝生は美しい。古い大学のコレッジの庭の芝生も美しい。美しさもさることながら、芝生は香りを楽しませてくれるものでもある。滞在中のイングランド南部にある古い大学の大学図書館からシティ・センターへ向かう途中、信号待ちをしている時、どこかのコレッジの中を歩いている時、あるいは自分の部屋の中にいる時、ふと漂ってくるいい香りに何だろうとあたりを見回すと、誰かが芝刈り機を持って、あるいは芝刈り機に乗って、芝を刈っているところだった。何とさわやかな香りだろうと思った。疲れを癒してくれるような香り、私にとって芝生の思い出は、美しさと、香りと、そして歩いた時のやわらかな感触と結びついている。

 昨夏、学生の研修で過ごしたイングランド南部のもう一つの古い大学のコレッジでの発見の一つは、芝生は意外にタフだということだ。私たちがそのコレッジに着いた時からずっと、ダイニング・ホールの前の芝生の上には大テントが張ってあった。大テントで何をするのかと尋ねると、何でもやるのだという。結婚式も、ディナーも・・・。ダイニング・ホールに向かい合った大テントの入り口までの芝生は、人の出入りで擦り切れて、いつの間にか道になっていた。夏の間7週間、張りっぱなしで活躍した大テントを、夏が終わりに近づき、お客が少なくなって取り払うと、大テントの下にあって7週間水をもらえなかった芝生は、そこだけくっきりと緑が薄くなり、人の足に踏まれて擦り切れた跡を歴然と示していた。芝生が芝生である部分と、芝生がなくなって地面がむきだしになった部分とのコントラストがあまりにもはっきりしていたので、これで大丈夫なのだろうかという感想をついもらしたが、責任者氏は「すぐ元どおりになるよ」と平然としている。テントの柱が建っていたところなど、四角い柱の跡がくっきりと残り、そこには芝生一本見当たらない。テントの入り口は、はっきりと地面がむきだしになった道だ。これで本当に芝生が生えてくるのかと私は思った。というのは、私は芝生を大事にすべきものと思い、何となく弱いものというイメージを抱いていたからである。

 ところが、テントの下だったところに庭師がスプリンクラーをセットし、7周間水をもらえなかった埋め合わせに毎日スプリンクラーで水をもらっているうちに、芝生は「すぐ元どおりになるよ」の言葉どおり、一週間もするとかなり緑が回復し、さらに日が経つと、道だったところが鮮やかな緑になった。私は夏のウィンブルドンのテニスコートで、試合が進行するにつれてあわれにも擦り切れる芝生を見て、密かに同情していたのであるが、この回復力を目の当たりにして、芝生は意外にタフなのだと驚き、感心し、また安心したのである。 これはこの夏の発見であった。

 そう言えば、芝生を円形あるいは方形に切り抜いてバラなどを植えている花壇を見れば、かなりの厚みのある芝生がきれいにカットされ、黒い土が顔をのぞかせている。芝生の生命力は旺盛だということなのだろう。うっかりしていると、花壇の植物は芝生の生命力に押されてしまうのではないか。芝生と花壇との境を明らかにするために、時々芝生をカットするのだと、いつだったか、泊めていただいているコレッジの庭師が言うので、何でカットするのかと尋ね、これでこういう風にカットするのだと、手にした大きな剪定バサミで教えてもらったことがある。しかし、その時は芝生の再生力を実感することがなかったし、日ごろ目にしている住まいの入り口の芝生とはかなり事情が違っているので、そのことを忘れてしまっていたのだ。

 芝生は保護すべきもの、弱いものという私のイメージはどこから来たのだろうと思えば、これはおそらくフェローは歩いてもいいというコレッジの庭の芝生のせいなのだ。庭師の丹精をこめた手入れで見事な美しさを見せているコレッジの庭の芝生の上を、フェローは歩いてもいいけれど・・・ということをよく聞くので、私は芝生の上は(時には歩いたけれども)なるべく遠慮して、芝生の中に設けてある歩道を歩くようにしていたのである。いつぞやご自分のご出身のコレッジに夏の間滞在しておられた恩師が、そのコレッジを案内してあげようとおっしゃった時も、ダイニング・ホール、ライブラリー、御自分のお部屋など建物の内部を見せていただいて外に出て、「フェローは歩いてもいいとか何とか言うけどねえ」とおっしゃりながらそのまま芝生の上を歩いて行かれるので、私も「ハァー」と言いながらそのまま一緒に芝生の上を歩いて行ったのであるが、その時も、ここはもしかして歩いてはいけないところでは・・・という意識は脳裡にあったのである。

 昨夏の研修先のコレッジでは、普段フェローは歩いてもいいけれど学生は歩いてはいけないことになっている芝生の上を(もっともクロッケーはしてもいいのだそうだが)、夏の間だけは特別に歩いてもいいと、太っ腹で繊細な研修責任者がおっしゃり、学生は「歩いてもいい」という部分だけを理解したようだったが、私は芝生の上を歩く時はなるべくそっと歩くようにと注意を与え、特に女子学生が二人、細く高いヒールのサンダルで芝生の上を歩いているのを見た時には、「ここでは歩いてもいいと言って下さっているけれども、普通はフェローしか歩いてはいけないところなのだから、芝生を傷めないように、そんなサンダルを履いて歩いてはいけません」と厳かに言い聞かせ、このように、芝生に敬意を払ってきたのであるが、先に書いた芝生の回復力を見て、あっけにとられてしまった。

 しかし、そのような回復力を見た後でも、そんなにタフとはとても思えない芝生にお目にかかった。 近くのコレッジで『夏の夜の夢』を上演していたので、学生と一緒に観劇に連れて行ってもらったのである。鹿のいる林苑さえあるというそのコレッジの広い庭は、川に囲まれていて、庭の一隅の、木が茂り、川が流れているそのすぐ傍で芝居が上演された。大人が枝に座ってもビクともしない大きな立木を利用した舞台装置で、オベロンがその木に腰掛けたり、パックが木の枝から綱を使って飛び降りたりするシェイクスピア劇を、かなり高いところまでしつらえられた観覧席で観た。傍の川を行くパント(平底船)の進み方が何故か遅かったり、行ったと思ったパントがまた戻ったりしていた。パントに乗っている人も、一瞬の観客となっていたのだ。

 芝居は夕食後始まった。夏といっても、イギリスの夜はかなり冷える。先生たちは厚手のコートを着て現れた。あたたかくしておいでという注意を受けていながら、昼間は暑くても夜は冷えるイギリスの夏を知らない他のグループの学生の中には、多分英語がよく理解出来なかったのだろう、半袖シャツ姿で寒さにふるえている者がいた。両腕で身体を抱いてふるえているその学生を見かねて、研修責任者が「これを着なさい」と言って自分のコートを脱ぎ始めた。厚手のウールのコートを貸してもらえると思ったらしいその学生が、ニコニコしてありがたがると、責任者氏は「違う、これだ」とキッパリ言って、コートの下に着ていたフード付きの薄手のシャツを脱いで渡し、自分は脱いだコートをまたはおったのがおかしかった。

 芝居が終わり、道まで出る間、10分ほど歩いた芝生はとても柔らかかった。まるで厚手の絨毯の上を歩いているようだった。川がすぐ傍を流れているせいだろう。豊かな水を十分吸った芝生はこんなに柔らかいのかと驚くほど、贅沢な足ざわりだった。川から遠いところにある芝生とは全然違っていた。あんな芝生を歩けば、芝生がタフとはつゆほども思わない。芝生とは何と柔らかくエレガントなものかと感嘆するばかりであった。極上の緑の絨毯の上を歩かせてもらった思いがした。

 芝生が毎日スプリンクラーで水をもらっていたある日、ランチの後、庭に出ると、庭師が芝生の中に立てておいた二つのスプリンクラーのうちの一つが、支えから落ちて、水が変な方向に飛んでいた。支えを立て直してセットするためには、勢いよく噴出している水にぬれないように、ホースの途中でいったん水を止めなくてはならない。恰幅のいい、というか少し膨らみ加減の研修責任者が、両足をそろえてホースの上にひょいと乗った。全身の体重がかかっているわけなのだが、ホースの水は止まらない。「私は十分重くないんだ」と責任者氏がのたまう。思わず笑い出しそうになった。研修の先生がしゃがんで手でホースを丸めて水を止めた。しゃがんだ拍子にそれまで目立たなかったスカートのスリットが、肌をあらわに見せてしまった。「あら、あの人のスリット、危険だわ!」と言って、思わず傍の人の肩に触れて笑ってしまった。ともかくも水は止まり、支えを立て直し、スプリンクラーをセットし直し、輪にしたホースを手から放したとたん、水がサーッと勢いよく出始めた。二人は思いがけない敏速さで、飛び跳ねるように水から逃れようとしたが、やっぱり少し濡れてしまった。

 芝生にいくら回復力があるといっても、フェローだけならそれほど数も多くないし、多くは円熟した年齢、あるいはそれに近づきつつある年齢だから、少々踏まれたって芝生もこたえないだろうが、活力あふれる学生たちに毎日遠慮なく縦横無人に歩かれては、さしもの芝生も、夏のウィンブルドンのセンターコートのようにはげはげになりかねない。学生に芝生を禁じるのは理にかなっている(と私は納得している)。秋からフェローの仲間入りをすることになっているというその先生は、「芝生に入っている学生を見つけたら、出なさいと言うのも私の仕事の一つよ」と言っておられた。秋になると、芝生は再び学生立ち入り禁止の場所となる。その秋が近づき、私たちはそのコレッジを後にした。
                                           (教養部教授)


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Tuesday March 6, 2001

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