柳とゴリウォグ

織田 まゆみ



 あちこちを拝みたおしてイギリスにいってきた。去年の6月のことである。勉強会に誘っていただいてお世話になっている先生が、一年間留学されることになり、本屋めぐりをつきあってあげるからとおっしゃったのがきっかけであった。こういう機会は生涯ないかもしれないと強く思い、子どもたちを長時間かけて懐柔し、了解をとったのである。今でこそAmazonで本を購入するが、修士に入ったばかりの頃はどのように本を集めればいいのかわからなかった。親切な先輩がケンブリッジのHeffer を紹介して下さり、おずおずと手紙をだしたが、この本屋にはいろいろ助けてもらったこともあり、一度訪れたいと思っていた。それから女性関係の蔵書ではヨーロッパ一の品揃えというSilver Moon にもいってみたかった。おかげ様で、足のまめと多くの獲得品を得ることはできた。(しかし、獲得品の活用に関しては、今は口をつぐんでおこう…)

 説明されてもいまいちピンとこないことでも、見てしまうと一瞬のうちにわかることがある。シェークスピアの故郷、ストラットフォード・アポン・エイボンでみた川がそうであった。水量が多くて、流れがゆったりとしていて、大きな柳が川面に影を落とす風景をみて、日本では『たのしい川辺−ひきがえるの冒険−』として知られているケネス・グレアムの作品の原題が The Wind in the Willow であるわけを瞬く間に了解したのである。これまで柳といえば、京都の何通りだったか、涼しげに剪定された並木しか思い浮かばず、柳からの連想も小野道風か幽霊に限られていたから、私のなかでは、柳とグレアムの物語はどうしてもずれていたのだった。 早朝、命の喜びを歌うかのような鳥の声を聞きながら、トリニティ教会周辺の川辺を散歩したが、『たのしい川辺』のモグラが、体の中から突き上げてくる春の喜びを感じながら、飛ぶように駆けていく「あの気持」がわかったような気がした。

 旅行中の宿泊はすべてB&Bで、もちろんあたりはずれがあった。そのなかで、ストラットフォードのB&Bは最高だった。案内所が町中にあったので、手っ取り早く駅の周辺で直接交渉したのだが、庭に大きなクマの置物が置いてある家に決めたのである。入ってみると、家中クマだらけだった。クマのぬいぐるみ、置物だけでなく、クマの壁紙、クマ模様のベットカバーなど、ありとあらゆる小物になったクマがあちこちにいた。すばらしかった。ここの夫人がテディベアの収集家だったのである。どのくらいあるのかとお聞きすると、大変貴重なベアは4体(もちろん彼らは私室にいる)持っている。客室には人形としては400、あと小物は数知れず、ということだった。いや〜興奮した滞在だった。
しかし、私はこのクマ館で奇妙なものを見たのだった。明らかに、黒人を戯画化しているとしか思えない人形である。岩波書店がヘレン・バナーマン作、フランク・トビアス絵の『ちびくろさんぼ』The Little Black Sambo(1899)を絶版にすると決めた時、ごうごうと賛否両論がおこったのは、そんなに昔ではなかったはずだ。議論に関していくらか調べてもいたから、私はこの人形をみてかなり動揺したのである。

 この人形の名はゴリウォグ Golliwogg という。三宅興子『イギリス絵本論』によれば、うみの親はフローレンス・ケイト・アプトンというアメリカ生まれのイギリス人であり、『2つのオランダ人形の冒険』(1895)に登場させたことがきっかけで、その後ぬいぐるみ、キャラクター・グッズとして使われたという。「一見恐ろしそうにみえるが、親切で暖かく、おもしろい事件もおこすゴリウォグにフローレンスのねらい通り人気が集中した」との三宅の記述は、クマ館夫人の弁とまったく同じである。クマ館夫人は「私の子ども時代のおもちゃはテデイ・ベアと人形でした。きれいな人形のすました感じに比べ、ゴリウォグは暖かくておもしろい雰囲気をもっていたの。政治的正しさの面から意見を言う人もいるけれど、私はゴリウォグが好きなのよ」(貧弱な聞き取り能力でも、言い回しはともかく、大意は聞き取れたと思う)と所有の理由を答えたのである。

 柳の疑問は解決されたが、代わりにゴリウォグがやってきてしまった。「いつかの引き出し」に一時置いておき、また考えよう。なにかのきっかけで答えが向こうからやってくるかもしれない。
                                             (大学院学生)



The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Tuesday March 6, 2001

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