グレトナ・グリーンを通過する

――ドロシー・ワーズワスの旅


岩田託子



image-1 一八〇三年夏、ウィリアム・ワーズワス、その妹ドロシー、友人サミュエル・コー ルリッジの三人は、アイルランド風の軽装馬車を雇い、スコットランド旅行に出 かけた。コールリッジは途中で別行動になったが、兄妹の帰宅するまでの六週間 の旅程は地図のとおりである(図1)。

ドロシー・ワーズワスが残した日記は、ウィリアムの詩想を辿る上で欠かせない 資料であると同時に、それ自体の文学性が高く評価されてきた。幸いなことに、 スコットランド旅行中もまた、ドロシーは日記をつけていた。その七万語におよ ぶ記述が、彼らの旅を彷彿とさせる。詩作にうわのそらのウィリアムや心ここに あらずのコールリッジでは残すことのできない紀行文学を、ひとえにドロシーの おかげで我々は楽しむことができる。「眼前のものを的確に、逐語的に、わかり やすい散文で記す」(1)ドロシー・ワーズワスこそ、 読むに足る旅行記の執筆者としてふさわしい人物であった。

ワーズワスが住居を構えていた湖水地方は、イングランド北西部でスコットラン ドに接するカンバーランド州にあり、スコットランドには最も近い土地である。 一行は、出発の翌日には州都カーライルを抜け、早くも三日め八月一七日には スコットランド入りし、グレトナ・グリーンを通過している。

サーク川を渡ってスコットランドに入る。橋のスコットランド側は、 囲い込みのされていない草むらである。たいへん鮮やかな緑の草地に、 グランセルと呼ばれる黄色い花が、そこかしこに咲いていた。丘の起伏はちょうど快い。 牛が草を食んでいる。川沿いには麦畑も少しある。丘の向こうはスプリングフィールドだ。 ウィリアム・マックスウェル卿が拓いた村。家並みは単調この上ない。 建造がいっときで、一人の家主が普請した場合はいつもそうだ。 どの家も人ふたりがやっと暮せるほどの大きさのところに、多かれ少なかれ、 家族がぎゅうぎゅうづめに住まわっている。ここで結婚式が執り行われる。 さらに進むと、といってもごく近くだが、丘の上に木々に囲まれたグレトナ・グリーン。 名前に反してうらさびれたところだ。石でできた家々はうす汚れてわびしい。 窓もこわれている。教会墓地からの見晴らしは素晴らしく、 ソロウェイ・ファースの海の向こうにカンバーランドの山並みが眺める。 食事はアナンでとった。・・・
一八〇三年八月一七日 水曜日(2)

ドロシーによるグレトナ・グリーンについての記述は、示唆するところ多い。

「グレトナ婚」と、これが喚起するイメージを、ドロシーはまるであずかり知ら ぬようだ。だからこそ、スコットランド最初の土地であるスプリングフィールド で結婚式が挙げられることに言及できたのだろう。「グレトナ婚」のイメージに 目をおおわれた旅人ならば、こうは書けない。俗にグレトナ婚といわれるものの うちでかなりのものが、事実は、隣村であるスプリングフィールドで挙式されて いたのである。偏見を免れた公平さは、常に、ドロシーの書くものの大きな魅力となっている。

ドロシーは、スプリングフィールドでの挙式について、解説めいたことは一切述 べていない。何かにつけて説明的でない、というのはドロシーの特徴ではあるが、 この旅日記が当初から出版する予定であったにもかかわらず、「グレトナ婚」を 読者に伝える必要を全く感じていないようだ。)必要を全く感じていないようだ。 彼女が想定する読者に、スコットランド婚が周知の事柄であるとドロシーは判断 したのだろう。グレトナ・グリーンに辿り着いても、ここでの結婚産業については、 一言も言及していない。

では、ドロシーはグレトナ・グリーンについて何を記したのか。「うらさびれた」 「うす汚れてわびしい家々」については、半世紀のちにもジャーナリスト、ウィ リアム・ブランチャード・ジェロルドがルポしているほどだから、いずれの訪問 者の目にも、よほどきわだったものに映ったのだろう。だが、これ以外の点では、 ジェロルドとドロシーのグレトナ訪問は、その趣きを大きく異にする。

ドロシーはグレトナを舞台にしたスキャンダラスな男女の色恋沙汰には一切無頓 着だ。非正式婚の挙式場所である村一番の宿屋グレトナ・ホールについても、す でに神話的な場所となっていた鍛冶屋についても、記述はない。したがって、今 なら観光名所になっているような場所を、はたして一行が訪れたのかどうかも、 知る術は残されていない。そもそも「グレトナ婚」のイメージに躍らさた検分の さいちゅうに、グレトナ・ホールのごちそうに舌鼓をうつ享楽的なウィリアム・ ブランチャード・ジェロルドの、経費でまかなう取材旅行ふうのおもむきは、ド ロシーにはない。ロマン派を代表する詩人たちは、グレトナを抜けてから「食事 はアナンでとった。」何を食べたのかも記されていないが、おそらく質素なもの ではなかったか。

もっともドロシーらしいところは、景色の描写。教会墓地から見た、入江ソロウェ イ・ファースの見晴らし、そしてその向こうに浮かぶカンブリアの山並み(図2)。 自分たちの家がそこにある、旅に出てきたという特別な感慨は、この眺望の記述 にこもっている。 image-2

「屋外で身体を動かすことが好きな」(3)ドロシー・ワーズワスは、 グレトナ・グリーンを通過して、ハイランド地方へ、スコットランド特有の湖へと進んでいった。

Virginia Woolf, "Dorothy Wordsworth," (1929) in The Common Reader: Second Series (1932; London: The Hogarth Press, 1959), pp. 164-172のp. 164.  Carol Kyros Walker ed., Recollections of a Tour Made in Scotland: Dorothy Wordsworth (New Haven: Yale University Press, 1997), p. 41.この本は、 近年手にしたものでも、出色の好著。 ドロシーが言及した場所の今の姿を撮った白黒写真が つけられている(図2参照)が、これも編者の作品である。 よくまとまったイントロダクションを書いた英文学者である とともに、写真家でもあるらしい。言葉と、そして、 フットワークとカメラから、ロマンティシズムの中心人物た ちの スコットランド行きをなぞろうとする気概が、一冊の書物を 成立させている。 Angela Carter, "Poets in a Landscape," (1978) in Nothing Sacred: Selected Writingss (1982; London: Virago Press, 1992), pp. 77-81.原文は"his sportive sister" p. 77 .「体育会系」とでも訳したいところだ。

(文学部助教授)

The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Fri Oct 8, 1999

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