中京大学英文学会講演報告

秋期大会


Ms. Bernice Rubens

“Comparison between the Novel Madame Sousatzka and its Film”



中京大学英文学会秋季大会における標記講演会が、l0月25日(土)センタービル7F、0703教室で開催された。ブリティッシュ・カウンシルの招きで来日されたバーニス・ルーベンス氏は、「『マダム・スザーツカ』 --- 小説と映画の比較」という題で、映画の一部上映とあわせ、この映画の原作者として、この小説の生まれた背景、映画と原作の違い等について語られ、また聴衆の質問に快くお答えになられた。以下にその様子を再現してみる。

来て下さってどうもありがとうございます。皆さんが、私の話を聴きにこへおいでになったのか、それとも映画を観に来られたのか存じません。映画を観においでになったのではないかと思います。多分、この本を読んでおられないでしょうから、皆さんが読んでおられない本が、どんなふうに、皆さんがご覧になっておられない映画になっているかということについてお話するのは、少しばかり間がぬけているように思います。そこで、私は、はじめにごく簡単なことをいたします。それは、この本がどこから生まれたか、どのようにして私の心に浮かんできたかを、皆さんにお話しし、それから映画を観て、もし時間があればそれについてお話ししようということです。

私の父は、ロシアのラトヴィアから、難民としてやって来ました。父はごくわずかのお金しか持って来なかったのですが、一台はフル・サイズ、一台はハーフ・サイズの、二台のヴァイオリンを持ってやってきました。父はヴァイオリニストでした。父はカーディフへ来て、私はそこで生まれました。4人子供がいました。私たちは大変貧乏でした。お金のない大家族では、一番大きい人の服を次の子供へ、それをまた次の子供へと順に小さい人へのおさがりにしますが、私たちはヴァイオリンをそうしたのです。私たちはすでにピアノを持っていて、兄はピアノを弾いていました。姉はハーフ・サイズのヴァイオリンをもらっていましたが、そのヴァイオリンが姉には小さくなると、私にくれました。私はそのヴァイオリンの音が好きではなかったので、弟にやりました。私はチェロが欲しかったのですが、チェロを買うお金がありませんでした。弟はロンドン・シンフォニー・オーケストラのヴァイオリニストになり、姉はウェールズ・ナショナル・オペラのヴァイオリニストになりました。

さて、『マダム・スザーツカ』は、私の兄についての話です。兄はピアノの天才児でした。兄はすばらしいピアニストでした。私たちは小さな町に住んでいまし.たが、兄が9才になった頃には、先生たちは疲れはて、もう兄が教えられなくなったので、兄はロンドンへ行かなくてはなりませんでした。毎週、週末になると、私たちは駅へ行って、レッスンのために兄をロンドン行きの汽車に乗せ、兄は週末をロンドンで過ごすと、カーディフへ帰って来ました。そして、ロンドンのクレージーな先生について、私たちに話してくれたものでした。当時私はとても幼かったのですが、兄の話をおぼえていたにちがいないと思います。そして私が作家になろうとしていた頃のものである。私の二冊目の本は、マダム・スザーツカと呼ばれていたこの先生についての話なのです。

さて、映画の前に、ここまでの私の話で、ご質問があれば、どうぞ。

映画の一部上映
(映画の続きは、後日の映画会でご覧下さいというアナウンス)

さて、皆さん、ご覧になった映画を楽しんでいただけたらうれしいのですが。お聞きになられたように、この映画の続きは、後日ご覧いただけることでしょう。

この先生の悲劇は、先生が弟子を手放そうとせず、しかも弟子はすでに別の先生につくようにという誘いを受けていることです。弟子は結局その先生のところへ行き、コンサートで世界中を回ることになります。マダム・スザーツカは一人取り残され、ひどく裏切られた気持ちになります。でもついに彼女は、その少年と少し似たところのある別の弟子をとります。彼女は、弟子を教えて、教えて、手放そうとしない、そして結局弟子たちは彼女のもとから離れていく、それが基本的なストーリーです。よろしいでしょうか?皆さん方は、私がこれまでにお話した中で、最もよく反応なさる方々ですね。(笑声)

さて、この映画は、多くの点で原作から逸脱しています。こういうことはよくあることで、それが『マダム・スザーツカ』にも起こったのです。私は気にしませんでした。私自身、映画の制作に携わっていますので、映画が原作とは大変違うドラマだということがよくわかっているからです。私はこの本を何年も前に書きました。そして直ちに映画化されることになったのです。今日の映画制作のやり方では、映画化にあたって、監督は、一年か二年オプション(映画化の権利を一定期間保っておく権利)を得て、その間に脚本を書き、資金を集めようとします。さて、この映画のオプションを得た人はたくさんいましたが、彼らには資金を集めることが出来ませんでした。そしてついに、皆さんご存じの監督と思いますが、ジョン・シュレジンジャーがこの物語に興味を持ち、映画化したいと考えました。さて、映画を作る前に、銀行が信用してくれる、資金集めに役立つ俳優、あるいは女優、あるいは監督を得なくてはなりません。英語でバンカブルというのですが、銀行が信用してくれ、お金を集められる名前です。たとえば、私たちにはシャーリー・マクレーンがいると言うなら、それがバンカブルな名前、お金を集められる名前なのです。いいですか、お金を集められる名前として、私たちには二つの名前がありました。監督ジョン・シュレジンジャーと女優のシャーリー.マクレーンです。そして私たちにはまたすばらしいイギリス人女優のペギー・アシュクロフトがいました。もう一つお金を集められる名前があったのです。そして私たちにはまた、インド人との混血の女性ルース・ジャブラヴァの書いた脚本がありました。

映画を作る機は熟しました。お金を集めなくてはなりません。私たちはどうやってお金を集めたのでしょうか?本の中、小説の中では、ウェールズの小さな村、小さな町、カーディフの出来事で、そして、小さな少年はユダヤ人の少年だということを皆さんにお話ししなくてはなりません。突然、話がロンドンに移り、小さな少年はインド人になりました。どうしてでしょう?単純なことです。それは、インド航空が映画制作の資金を出してくれたからなのです。このようにして映画が作られました。それでインド人の少年が登場すれば、インド人の母親が登場しなくてはなりません。

私は少しがっかりしました。というのは、私は、本当のピアニストに少年役をやってもらいたかったからです。少年がユダヤ人でなくてもかまいませんでした。ユダヤ人は「今月のフレーバー」ではありません。(笑声)私は少年を、中国人、日本人、韓国人にやってもらいたいと思いました。韓国、日本、中国には、小さな少年ピアニストがたくさんいます。でも、私たちは日本からはお金をもらいませんでした。それで、小さなインド人の少年にその役が行ったのです。さて、世界中で、キーボードでない唯一の大陸はインドです。

少年の役をやった小さなインド人の少年は、俳優です。よい俳優だと思いますが、ピアノは弾けないのです。四分休符と八分音譜の違いも知りません。(笑声)でも、うまい演奏ぶりを見せていたと思いませんか?とてもいいコーチについて、コーチが彼に演奏の身振りを教えたからなのです。いい仕事をしたと思います。映画が出来上がって、王室御前上映作品に選ばれました。あの映画にはセックスもなく、バイオレンスもなく、王室はセックスと無関係だからです。

さて、小説を他のメディアに移すこと、小説の映画化の概念について、二三お話したいと思います。私は、個人的には、その処置に賛成出来ません。本は本、映画は映画だと思います。映画は、ストーリーを語る、一連の動きのある絵です。本は、ストーリーを語りますが、また内面的なモノローグ、セルロイド(のフィルム)にはうつせない空間に満ちています。

私は、私の本を何冊も映画化してもらって、とても幸運だと感じています。でも、それでも、映画化の原則には同意出来ません。もし、本を他のメディアに移さなくてはならないとすれば、映画よりもうんと親密感のあるメディアであるテレビの方がいいと思います。

それが、基本的に、私が今お話ししたい原則です。出来れば、本を映画化する原則について、あるいはこの映画そのものについて、かまいません、何でも質問して下さい。時間はあります。

―――(質問)『マダム。スザーツカ』にはセックスがないとおっしやいましたが、あの映画の中にはずいぶん性的な含みがあるのではありませんか?―――
そうです。性的な要素はあります。私どもの王室は片目が見えないのです。そうでなくてはならないのです。王室には男の子と女の子のずるい関係が見えなかったのです。また汚い言葉もありますが、私たちには聞こえませんでした。片目が目くらで片耳がつんぼ、それが世界中の王室です。

―――(質問)お話しになられた映像化の原則についてですが、連続もののテレビ映画ではそうかも知れませんが、一回かぎりのテレビ映画ではどうなのでしょうか?―――
テレビではうまくいかない映画があります。たとえば「戦争と平和」のような映画をテレビで見るのはこっけいです。ドラマの戦争そのものを見せる空間がないからです。『スザーツカ』のような映画についておっしやっているのなら、これはとても親密感のある映画です。これは観客の親密さを求める家庭的な映画です。そして、これでさえ、ここにいらっしゃるような映画館の観客のことです。みなさんは、この映画を、お母さん、お父さん、子供たちと一緒に観ることを想像出来ますか?実際、とても、とても違います。意味がとても違ってきます。皆さんは違う観方で映画をご覧になりました。私の感じでは、すべての本がそうではありませんが、本のうちのあるものは、たくさんの観客ではなく、少数の親密感のある観客を求める小さなスクリーンの方が好都合なのです。『スザーツカ』はその一つです。でも、概して、本質的に、私は映画化には反対なのです。映画は違うグラマーだと思うからです。映画は動く絵です。今日の英国小説におこっていることは、おかしなことです。小説のもとの構成、英国小説が裏切られているのです。今や映画を頭に置いて小説が書かれているのです。おわかりですか?スコットランド小説『トレインスボッティング』のような小説のリズムです。皆さんは、本を読んで本の余白に第一話、第二話、第三話、第四話、第五話・・・と書き込むことが出来ます。映画のように書かれていて、マスターショットが書きこまれていると思うと、クローズアップが小説の中に書きこまれている、これが今日の英国小説の匂いと感触なのです。そして、私は、これはまぎれもなく映画の影響だと思います。

ここまでお話ししてきましたが、私は、あなたの質問を誤解していました。あなたは、一回かぎりの特別番組よりも、シリーズものの方がよくはないかとお聞きになったのでしたね?『スザーツカ』ですか?いけません。『スザーツカ』には3部、4部に分けられるサスペンスの要素がありませんし、とても内面的な映画だからです。ですから、続き物には向きません。

―――(質問)ルーベンスさんのご本の中で、一冊読むとすれば、どれがいいでしょうか?―――
後であなたと会ってお話ししなくてはなりません。あなたがどんな方か知りませんから。あなたが服装倒錯症に関心をお持ちなら、一冊おすすめする本があります。多分関心をお持ちでしょう。

―――(質問)映画の少年役についてお聞きしたいのですが。
私は少年が、本当に若い人であって欲しかったのです。インドを見ますと、若い人にも、年とった人にも、たった一人もインド人ピアニストがいませんが、日本、韓国、中国といった他の大陸には、どこでも少年ピアニストがいます。いくらでもいます。それで私はがっかりしました。でも、おそらく人々は・・・映画をご覧になった方々にお聞きしなくては・・・あの少年が本当のピアニストだと思った方は、どのくらいいらっしやいますか?手をあげていただけますか?(「本当のピアニストのように見えましたよ」という声)見えましたか、大変けっこうです。ロンドン・シンフォニー・オーケストラにいた私の弟は・・・皆さん、オーケストラ・コンサートの場面をご覧になりましたか?(「いいえ」)オーケストラにいて、あの映画にも出ていた私の弟は、オーケストラの音楽家たちは、彼が本当のピアニストだと思ったと私に言いました。ですから、彼は本当の音楽家たちをだますことが出来たのです。彼は、明らかに皆さん方をだましたのですよ。(大笑い)

―――(質問)あなたのお兄さんは、マダム・スザーツカのような、お兄さんを手放そうとしない先生についておられたのですか?―――
そうです。先生は兄を手放したがらず、兄自身のキャリアに大きな害を与えました。私の両親は、何もわかっていませんでした。兄は田舎出のただの男の子だったのです。両親はすばらしい先生だと思っていました。マダム・スザーツカに関して、面白いことに、この映画がアメリカで封切られた時、新聞に「私がマダム・スザーツカです」という投書があり、アメリカの100人を超える女性が、自分がマダム・スザーツカのモデルだと主張したのです。メソッドを持ったピアノの先生をだます世界的詐欺があるというのはおそろしいことです。

講演の内容について、愛知大学のアンガス・マッキンドー氏にご教示いただいたことを記して感謝いたします。

(小田原謡子教養部教授)

(『中京大学学報12月1日号の記事に加筆させていただきました。)


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Thu Apr 30, 1998

Previous