卒業後の自分

宮松 宏 (名古屋市立豊国中学校 平成9年3月任期修了見込み)



私は、平成3年3月に卒業しました。もう6年近く月日が経とうとしています。卒 業して1年間、会社勤めをしていました。会社勤めをやめ、約1ヶ月後、公立中学 校の講師(講師というと格好はよさそうにきこえるかもしれませんが代用教員の ことです。)になりました。この学校での任期は1年1ヶ月間でした。会社勤めを していた時、根古谷の教員採用試験の二次試験まで進んだので不安定な身分の講 師の道を択んだのです。その後は、県立高校や公立中学とやってきて、現在、4 校めです。その間、何度も教員になることをあきらめかけましたが、挑戦してき ました。次の学校の話があるまでは、アルバイトやパートをして、つないできま した。決して格好いい人生を送ってきませんでした。一次に通り、二次に進んだ のは、平成3年の夏と平成6年の夏だけでした。平成6年は愛知県の採用試験で二 次で落ちました。この時は、講師としてある学校が終わり、次の学校から話がな いかと待っていたときでした。去年の今ごろも就職活動をしていました。今、学 校でまだ働いています。去年の3月末、今の学校から「就職するときいています が、1年間、うちでやっていただけないでしょうか。・・・・。どこの会社に決 まっているのですか。」と電話がかかってきました。教頭先生がその電話の後で 内定した会社に電話をしたそうですが・・・。会社側にも迷惑をかけてしまった。 2社、内定をもらっていたのだが踏み出せなかった。今年度も結局、採用試験は 一次で落ちてしまった。この夏休みから就職活動を再開しました。約6ヶ月ぶり に。来年度で30歳になる私は、年齢的にはいい時かもしれない。義務教育の段階 というのは大切な時だと思う。人間として、国民として生きていく上で、最低限、 必要な知識や力などを身につける所である。今までやってこれただけでも満足で もあるし、さびしさも少しある。いろいろな人達に励まされたりしてきた。最初 勤めていた会社の上司からは、退職時に万年筆をもらい、最初の中学では、3年 生が卒業する際、男子バスケットボール部員が、Run Birdのジャージ一式を私に くれた。1万7千円ぐらいはするであろうものを部員たちがお金を出しあって買っ てくれた。3年生は10人だった。でも中学生にとってはかなりの出費であるにち がいない。もらっていいのか?と思った。代用教員になって、修学旅行で東京に 2回も行ってしまった。不安定な身分でありながら、いろいろなことを経験でき た。自分は幸せ者かもしれない。

不安定な身分だけどいろいろな人が支えてきてくれたと今、思う。そうでなかっ たら、今、代用教員なんてやっていないでしょう。

今、会報を読んでいる皆さんで、教員志望の人は、勉強してください。4月から で間に合うと思わない方がいいと思います。一般教養、教職教養、専門と万全に しておいてください。それから、英会話もある程度、できるようにしておいて下 さい。ラジオ番組が効果的だと思います。音声学のテキストを見て、正しい発音 を身につけて下さい。生徒は敏感です。正しい英語お教えて下さい。あと、自分 が将来、何を本当にやりたいのか、進路を決定する際、しっかり考えて下さい。 私も友人たちが早くから、就職活動をしているのを聞き、あわてて就職活動を始め ました。もう少し、学生時代、ゆっくりと進路について考えてから会社訪問をし てもよかったと思っています。航海しないように在校生のみなさん、自分の将来 について、しっかり考えて下さい。転職を考えている卒業生の皆様、もう一度、 考えなおしてもいいと思います。僕はもう一度スタートライン。


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Thu Apr 30, 1998

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