「上海」「南京」そして「日中戦争」


--映画100年によせて--

横山 弘子(大学院学生)



先日、朝日新聞(’95.12.6.タ刊)を読んでいたら、<幻の映画「南京」50年ぶりに発見58分間「貴重な資料」>という見出しの記事が出ていた。そこには、「南京」は「北京」「上海」とならんで記録映画三部作として当時非常に有名であった、と記されている。「南京」という映画は、南京占領直後に南京に入った従軍カメラマンが撮影し、1938年に東宝で製作されている。私はピーター・Bハーイ先生の「比較文化」という講義で「上海」を見せてもらっていたのでハッとした。「上海」は亀井文夫の編集で、1938年に同じく束宝で製作されている。しかも、ともに報道映画である。以下では報道映画という表現をもちいる。これらは客観的科学的な記録のための映画ではなくて、なんらかの目的で広く国民に伝える意図をもった映画であるからだ。

報道映画といえば、「上海」をみた次の週の講義時間であったと思うが、上記三部作よりすこしあとの1944年にアメリカで作られた報道映画「日中戦争」をみせてもらった。「上海」「南京」そして「日中戦争」、いつの間にか私の頭の中では日本の報道映画とアメリカの報道映画との比較が始まっていた。

「上海」は軍部の命令で作られたものだけに、確かに上海の戦いで日本軍がいかに雄々しく戦ったか、いかに大きな戦果をあげたかを、終始解説したり兵士に語らせたりして報道している。しかしそういう言葉と同時に、報道はありのままに事実を伝えなければならないという良心のもとに、戦闘後の上海の様子、戦災にあった人々や兵士達のありのままの姿を、映像として冷静かつ正確に伝えようとしている。その際、絶対的中立の立場はありえず、編集者としての亀井文夫の戦争観が表われて来ざるをえない。したがって「上海」では、上海事変の勝利を宜伝している華々しい言葉や場面は、写し出される殺伐な場面の前に次々と空しく崩れ去っていく。結論的にいえば、この映画のプロパガンダは、皮肉にも軍部の好戦的意向や戦意高揚の意図とは反対に、反戦的な雰囲気をただよわせ厭戦気分をかもしだすものとなってしまっている。

「南京」については、今のところ新聞が報じるところによって記すしかない。南京「占領後の入城式、それに統く万歳三唱、大祝宴」「中国人も日本軍の進撃を歓迎しているように語られ」ている。南京虐殺事件に関して、「映像にはそのかけらも見えない。」しかし他方では「激しい炎を上げて燃えている町」「破壊され尽くした町」の様子も写されており、「中国人の表情を見れば、決して喜んでいない」ことが伝わってくる。そこには「表に出せない作り手の苦しみ」があり、「カメラマンの意図したもの、姿勢が必ず残っている」という。

「日中戦争」はアメリカ人にはまだよく知られていない「中国」という国の歴史的解説から始まる。中国は人類の文化発生の地であること、その国へ日本が侵入しいかに横暴なことをしているか、それらを理路整然と告発している。日本に抵抗を統けている中国は、アメリカが守るに値する国、忍耐強くたくましい人々からなるすばらしい国であると、非常に美化されている。「日中戦争」は報道映画として「上海」と同じように真実を伝えようとしているが、視点はアメリカという立場に立っている。それ故、「上海」では見られなかった中国側から見た事実--日本軍の横暴や残虐な行為を示す生々しく目をそむけたくなるような映像--を使用しており、日本の侵略に反対し民主主義を守るための報道映画としてはおおいなる成功をおさめているといえよう。作製の意図と真実が一致しているからである。

ところで、芸術作品としての祝点から評価するならば「上海」の方が優れており、いつまでも私の心に残るであろう。それは真実を伝えなければならないという報道映画製作者の良心と、真実の報道を押さえようとする軍部の圧力との葛藤が画面からにじみ出ているからである。別の表現をすれば、人間のドラマも見えてくるからである。ともあれ、正義と真実に依拠した報道映画こそが、その名に価する映画であるということを学んだ。

今年は多くのよい映画を見ることができた。映画についていろいろ考えることもできた。私にとってまさに「映画100年」にふさわしい記念すべき年となった。


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Thu Apr 30, 1998

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