J・POPの音韻的考察
北 村 美 樹
1.はじめに
最近の日本語の歌謡曲、ポップスは英語圏の歌の影響で、昔ながらの日本語の歌とは変化してきているように思える。例えば、ラップや Mr. Children の歌では、英語らしいリズムや音に聞こえる場合がある。このように思えるのは何故だろうか。実際、日本語のポップスに何らかの変化が起こっているのだろうか。この点について言語学的、音韻論的観点から考察するのが本稿の目的である。本来、日本語と英語の歌の音特徴はどのようなものか、また最近の日本語の歌は英語の影響を受けているのか、さらに、受けたとすればどのように受けたのかについて、日本語と英語の音構造を比較しながら分析する。二章では日本語と英語の音構造の違いについて、三章では日本語と英語の歌について、四章では英語の歌の影響を受けていると思われる近年の日本のポップスについて考察する。
2.日本語と英語の音構造からの分析
ここでは音韻論、音声学の観点から、日本語、英語の音構造について考察する。2.1節では音節とモーラの単語を分節する単位の違いについて、2.2節では英語の強勢アクセントと日本語の高低アクセントについて、2.3節では日本語と英語のリズムの違いについて、2.4節では英語に見られる音の脱落現象について、2.5節では頭韻と脚韻についてそれぞれ見ていく。尚、本章の考察は、『英語音声学の基礎』(1995)、『英語の発音と英詩の韻律』(1991)、『音韻論』(1994)、『初級英語音声学』(1991)、『日本語の音声』(1999)の記述を参考にしている。
2.1 音節とモーラ
日本語と英語では単語を分節する単位が異なる。すなわち一つの音として認識する単位が異なる。日本語はモーラ単位、英語は音節単位で単語を分節している。
まず英語から見ていく。音節とは、基本的に母音を中心とする音のまとまりである。すなわち、母音のまわりに子音が群がってできた単位である。したがって単語がいくつの音節からできているかは、基本的にその語の中にいくつの母音があるかということで分かる。1音節を構成する子音は母音の前後にそれぞれ複数個存在してもよいが、母音は二重母音などの多重母音ではあり得ても、1音節内に異なる母音が複数個存在することはあり得ない。音節の例としてmarketとstrikeの単語を取り上げてみる。market[mar.ket]は[a:]という長母音と[i]の母音を含んでいるから2音節になる。(図1を参照)
strike[straik]は、比較的長い単語に見えるが、音節に区切ると [ai]という二重母音を一つ持った1音節語となる。一方、strikeにingをつけ、striking[straik.ing]にすると母音の数は[ai]と[i]の2つになるから、strikingは2音節語ということになる。(図2のAとBを比較されたい)
一方、日本語の基本単位はモーラである。モーラは、詩や発話において等時的に繰り返される長さの単位である。モーラは基本的に[母音]か[子音+母音]の形で1つのモーラを形成する。モーラは機能的に定義されることから、どのような要素が一人前のモーラとして独立できるかは、言語あるいは方言によって異なってくるが、日本語の標準語では、撥音(ん)、促音(っ)、長母音の後半部分(―)、二重母音の第2要素が独立したモーラとして存在する。この点が英語の音節と大きな違いが出てくる点である。
比較のために最初に、音節とモーラが同じ例を挙げる。その後に両者がずれる例を挙げていく。
(1)音節とモーラが同じ例
「岐阜」[gi.fu]は[i] と「u」の2つの母音を持つ語であるから、2音節であり、2モーラである。
(2)音節とモーラの数え方がずれる例
(a) 撥音 「天丼(てんどん)」の場合
音節で区切ると、[ten. don]となり、母音[e]と[o]を持った2音節になる。
モーラで区切ると、[te.n.do.n]の4モーラとなり、[n]も一人前のモーラとして扱われる。
(b) 促音 「切手(きって)」の場合
音節は、[kit.te]となり、母音[i]と[e]を持った2音節になる。
モーラは、[ki.t.te]となり、促音(っ)を数えた3モーラになる。
(c) 長音 「東京」の場合
音節は、[too.kyoo]と区切り、[o:]という切れ目のない長母音が2つある2音節語ということになる。
モーラは、[to.o.kyo.o]という風に長母音も一つのモーラとして数えることができ、東京は4モーラになる。
(d) 二重母音 strikeの場合
音節で区切ると、[straik]となり[ai]という二重母音を1つ含むから1音節になる。(図2−A参照)
一方、strikeが外来語として「ストライク」という日本語になった場合、子音連続や子音で終わることは許されないので、その部分に母音が挿入される。さらに、[ai]が二重母音ではなくなり、一つずつ独立した母音として認識される。したがってストライク[su.to.ra.i.ku]の5モーラになる。(図3を参照)
モーラは、等時的に繰り返される長さの単位なので、川柳や俳句、短歌などの詩歌や、話し言葉において、リズムの基本単位となる。このリズム単位は日本語に特徴的なものであり、外国人が体得することは難しい。外国人が「こんにちは」と言うとき、「コニチワ」と発音しているのを聞くことがある。彼らは「コ」と「ニ」の間に「ン」があるのを知らないわけではない。英語の発音には独立した「ン」がなく、それだけで音節になるということはない。[n]は必ず、先行の母音、まれには子音と組み合わさってはじめて一つの音節を作るのである。したがって外国人には一つの音として意識されないのである。日本人が「こんにちは」と言うとき、「こ・ん・に・ち・は」と5モーラで言うのに対して、外国人は [kon.ni.chi.wa]と4音節、あるいはさらに縮めて[kon.nich.wa]と3音節で言い、それが「コニチワ」と聞こえるのである。
日本語のモーラ特性は伝統的な歌謡によく表れている。日本語の歌謡では一つのモーラに対して一つの音符が付与されているのが原則となっている。「ん」「っ」のような特殊モーラにも独立した音符があてがわれている場合も多い。作曲家は歌詞をモーラの連続に分け、各モーラに一つずつ音符をあてがいながいながらメロディーをつけている。(歌謡例1を参照。インターネットから引用)
歌謡例1 「しゃぼんだま」 野口雨情 作詞・中山晋平 作曲
一方、英語などの言語の歌謡に見られる語の分節法は、日本語の歌謡とは基本的に異なる。英語では一つ一つの音節に対して音符が付与されるのが大原則であり、母音が短いか長いかというような違いや音節構造の違い(母音に子音が後続しているかどうかなど)は問題にならない。作曲家が歌詞を音節に区切って作曲していることがうかがえる。(歌謡例2を参照。インターネットから引用)
歌謡例2 “Kookaburra” オーストラリア民謡
このように日本語と英語の童謡から、日本語はモーラ単位、英語は音節単位でメロディーをつけていることが分かる。
2.2 強勢アクセントと高低アクセント
世界中の言語はアクセントを用いるか否かによって大きくアクセント体系と無アクセント体系に分けられる。さらにアクセント体系は、強勢アクセント言語と高低アクセント言語の二つに分けることができる。強勢アクセント言語には英語があり、高低アクセント言語には日本語がある。また、無アクセント体系も音調言語と無アクセント言語に分けることができ、音調言語には中国語、無アクセント言語には日本語の無アクセント方言などがある。
英語のような強勢アクセント言語は声の強さ(音量、長さ、ピッチの高低等の複合体)として具現化される。英語の発話はアクセント(強勢)のある音節とない音節の区別が明瞭である。アクセントのある音節は強く発音され、その結果、副次的に長く発音されやすい。一方、アクセントのない音節は弱く発音され、その結果短くなりやすく、他と結合したり省略したりすることもある。アクセントの位置によって単語の品詞や意味が異なる場合もある。そのような例を挙げる。
(3)アクセントの位置によって品詞が異なる場合
IMport (名詞) imPORT (動詞)
DEsert (形容詞) deSERT (動詞)
EXpert (名詞) exPERT (形容詞)
(4)複合語か句によってアクセントが違い、意味が異なる場合
複合語 | 句 |
---|---|
BLACKboard (黒板) | WHITE House (ホワイトハウス) |
RUNNING shirt (ランニングシャツ) | SLEEPING car (寝台車) |
black BOARD (黒い板) | white HOUSE (白い家) |
running BOY (走っている少年) | sleeping BABY (眠っている赤ん坊) |
日本語のような高低アクセント言語は、ピッチの高低によって語の意味が区別される。
2.3 日英語のリズムの違い
音声の流れの中で、音の強弱や長短が規則的に繰り返される現象をリズムという。日本語のリズム単位の基本は2.1節で論じたモーラである。日本語はほぼ同じ強さで、等間隔に発話されるので、拍数が多くなれば発話時間も長くなる。一方、英語のリズム単位は強弱アクセントである。したがって強音節の数が同じならは、発話時間はほぼ等しくなる。つまり発話時間は、日本語はモーラの数(拍数)に比例するが、英語は音節数ではなく、強音節の数に比例するのである。いくら弱音節が間にあろうとも、発話時間は長くはならないのである。
英語では単語に強音節と弱音節があるように、句においても強く発音される語と、弱く発音される語がある。ストレスを受ける語を内容語と言い、弱く発音される語を機能語と言う。強音節間を時間的にほぼ等しく発話するという英語のリズム特徴のために、ストレスを受けない機能語は速く、弱く発音される。これを弱形と言い、強く発音される場合の形を強形と言う。文の発話時間の長さは、単語の数ではなく、強音節の数に比例することは、(6)の例から示される。
(6) (a) DOGS BITE BONES.
(b) The DOGS will BITE the BONES.
(c) The DOGS will have BITTEN the BONES.
(a)(b)(c)は単語に違いはあるが、ほぼ同じ時間で発話されることになる。
2.4 音の脱落
2.2節で英語の強勢アクセントを見た。2.3節では強勢を有する音がリズムを担うため、強勢を受けない音節や語は弱く速く発音されることを見た。したがってアクセントを受けない語は、ゆっくりとした発話では発音されても、速い発話では発音されなくなることがある。これは、脱落(elision)と呼ばれる音声現象で、母音にも子音にも起こり、単語内でも単語間でも見られる。これらの英語特有の現象を、2.4.1節では母音の脱落、2.4.2節では子音の脱落、2.4.3節では音節の脱落という順で見ていく。
2.4.1 母音の脱落
速い発話では弱音節における弱母音(/e/,/I/)はしばしば脱落する。
(7)/e/の脱落
fam(i)ly cam(e)ra c(o)rrect
I am → I'm let us → let's
(8)/I/の脱落
b(e)lieve (e)xcuse b(e)hind
it → it's
2.4.2 子音の脱落
同じ子音が連続する場合や、調音場所や調音方法が同じか、似ている子音が連続する場合に、前の子音が発音されなくなることがある。
(9)同じ子音が連続する場合
同じ子音が連続する場合、先行子音が後続子音に吸収されて発音されなくなる。
First time (/t/の脱落) big game(/g/の脱落)
good dream(/d/の脱落)
(10)調音場所が同じ場合
/(t)d/ nex(t) door /(t)s/ ou(t) side
/(d)n/ goo(d) night
(11)調音方法が同じ場合
/(p)t/ em(p)ty /(t)b/ roas(t) beef
/(d)b/ han(d) bag
(12)調音場所・方法が似ている場合
firs(t) show las(t) chance clo(th)es
(13)先行子音が閉鎖音の場合
fas(t) foot goo(d) morning bi(g) man
(14)歴史的脱落
元々発音されていた音が歴史的過程の中で発音されなくなっていったものがある。これらは綴りに変化が起こらなかったため、脱落した音は黙字となっている。
han(d)some (k)night (w)rite
(15)弱形の場合
語頭子音が脱落して、さらに弱化する場合がある。
her, himのh themのth willのw
2.4.3 音節の脱落
速い、くだけた発話においては、弱音節そのもの、あるいはその一部(弱母音は必ず含む)が発音されない場合がある。つまり、母音のみ、子音のみの脱落ではなく、弱母音+子音(子音+弱母音)の単位で脱落する場合である。このような現象は歌詞や字幕等ではアポストロフィによって表される。
(16)
because → 'cause between → 'tween excuse → 'scuse
音の脱落はしばしば英語の歌詞の中に見られる。現代のアメリカのポップス、Backstreet Boysの2曲を取り上げ、検証する。( )は音の脱落、下線部は音節の脱落を示す。
歌謡例3 "Get Down" Backstreet Boys
[Chorus:]
Ge(t) down
Ge(t) down
An(d) move it all around
[2x]
Hey baby love I need a gir(l) like you
But tell me if you feel it too
I'm in delusion every minut(e) every hour
My heart is crying out for you
get down の [t] と [d] は調音場所が同じなので、ゲットダウンと区切って言わずに、[t] を脱落させスムーズに発音している。And move の場合は、先行子音 [d]の閉鎖音を脱落させている。girl like と minute every のところはそれぞれ [l] と [e] という同じ子音が連続しているので、先行子音が後続子音に吸収されて発音されなくなる。
歌謡例4 "I Want It That Way" Backstreet Boys
[Chorus:]
Tell me why
Ain't nothin' but a heartache
Ain't nothin' but a mistake
Tell me why
I never wanna hear you say
(never wanna hear you say it)
I want it that way
'Cause I want it that way
are notをain’t、nothingをnothin’、becauseを‘causeとくだけた表現をして、曲の流れを崩さないように、後続単語との連携をスムーズにできるようにしていることが分かる。
2.5 韻
韻は本来、詩において用いられた文学上の技巧である。ここでは2.5.1節では頭韻について、2.5.2節では脚韻について見ていく。
2.5.1 頭韻
頭韻とは、同一詩行の強勢のある音節同士が同じ音で始まることである。まず(17)の例を比較されたい。
(17)
(a) Don't Drink and Drive. (イギリス)
(b) 飲んだら乗るな、乗るなら飲むな (日本)
いずれも口調の良い表現を用いているが、口調の良さは日本語と英語では異なる言語学的理由から生じている。日本語の場合にはモーラ数の規則性と、飲む、乗るという音形的にもよく似た2つの動詞の交替により口調の良さが作られている。これに対し、英語の場合は、/d/あるいは/dr/の共通性、すなわち頭韻によるものである。
2.5.2 脚韻
脚韻とは単語末音節のrhyme(母音+子音)の部分が2語以上について一致することを指す。脚韻は英語の童謡やポップスの歌詞など、詩に似た体裁を持つものに広く見られ、口調の良さを作っている。
歌謡例5 "Twinkle, Twinkle, Little Star"
Twinkle, twinkle, little star,
How I wonder what you are.
Up above the world so high,
Like a diamond in the sky!
一行目と二行目は[a:]、三行目と四行目は[ai]が脚韻を踏んでいる。
3.日英語の歌に見られる違い
3.1 英語らしい歌
歌謡例 6 "Yesterday" The Beatles
Yesterday,
All my troubles seemed so far away.
Now it looks as though they're here to stay.
Oh, I believe in yesterday.
Suddenly,
I'm not half the man I used to be.
There's a shadow hanging over me.
Oh, yesterday came suddenly.
Why she had to go I don't know she wouldn't say.
I said something wrong, now I long for yesterday.
Yesterday,
Love was such an easy game to play.
Now I need a place to hide away.
Oh, I believe in yesterday.
Mm mm mm mm mm.
行の最後に注目すると、5行目から8行目は[i:]、それ以外のすべての行には[ei]の脚韻が見られる。また、1行目の yesterday は音節に区切ると [yes.ter.day]で3音節、4行目のbelieveは [be.lieve]で2音節、5行目の suddenly は [sud.den.ly] の3音節になり、一音節に一音符があてがわれていることが分かる。
3.2 日本語らしい歌
「さくら」はほぼ一音符一モーラで歌われている。
歌謡例7 「さくら」 森山直太朗
4.英語の歌の影響を受けた日本の歌
4.1 ラップの分析
ラップは一音符一モーラが崩れた典型的な例である。最近の日本のポップスであるDA PUMPの曲を検証する。
歌謡例8 "We Can't Stop the Music" DA PUMP
Rap
つくろうこと不得手な性格 ゆえに評価はえてして失格
予想通りの優等生のアンサー 今に見てな 明日はトップランカー
あふれる野望見えぬ軌道 無責任な中傷に傷付く希望
背中に君の胸の鼓動感じ 飛ばすバイク fun like funk!
同じ時を過ごすことの幸福 共に怒り望みには貪欲
会えなけりゃ今の俺不在 そんな大事な人たちの存在
影響 環境 与えてくれたリスペクト&感傷
そして俺 まだ止まらない 強くshout! can't stop emotion!
二重線は韻を踏んでいる。また韻を踏んでいるところに強アクセントがあり、リズムをとっていることが分かる。
4.2 Mr.Childrenの歌の分析
Mr.Children の歌には現代の日本語の歌の特徴、すなわち英語的な音特徴が多く表れている。例えば、一音符一モーラがくずれたり、2モーラが二重母音化したり、韻を踏んだりしているのである。波線は一音符一モーラがくずれたもの、点線は二重母音化しているもの、二重線は韻を踏んでいるもの、太線はモーラのくずれと韻を踏んでいるもの、( )は音の脱落を示す。
歌謡例9 「名もなき詩」 Mr. Children
ちょっとぐらいの汚れ物ならば 残さずに全部食べてやる
Oh darlin' 君は誰
真実を握りしめる
君が僕を疑ってるなら この喉を切ってくれてやる
Oh darlin' 僕はノータリン
大切な物をあげる Wow Wow
苛立つような街並みに立ったって
感情さえもリアルに持てなくなりそうだけど
こんな不調和な生活の中で たまに情緒不安定になるだろう?
でも darlin' 共に悩んだり
生涯を君に捧ぐ
あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中で
もがいてるなら僕だってそうなんだ
どれほど分かり合える同士でも 孤独な夜はやってくるんだよ
Oh darlin' このわだかまり
きっと消せはしないだろう Wow Wow
いろんな事を踏み台にしてきたけど
失くしちゃいけない物がやっと見つかった気がする
君の仕草が滑稽なほど 優しい気持ちになれるんだよ
Oh darlin' 夢物語
逢う度に聞かせてくれ
夢はきっと奪うでも与えるものでもなくて
気が付けばそこにある物
街の風に吹かれて唄いながら
妙なプライドは捨ててしまえばいい
そこからはじまるさ
絶望 失望
何をくすぶってんだ
愛 自由 希望 夢
足元をごらんよきっと転がってるさ
Rap
成り行きまかせの恋におち
時には誰かを傷つけたとしても
その度心痛めるような時代じゃない
誰か(を)想いやりゃあだになり
自分の胸つきささる
だけどあるがままの心で生きようと願うから
人はまた傷ついてゆく
知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中で
もがいてるなら誰だってそうなんだ
愛情ってゆう形ないもの
伝えるのはいつも困難だね
だから darlin' この名もなき詩を
いつまでも君に捧ぐ
2.1節で音節とモーラの数え方がずれる例を取り上げたが、この歌の中にはそれらの特徴が見られる。
(a) 撥音の脱モーラ化
9行目の「こん」、10行目の「悩ん」、16行目と19行目の「るん」などの撥音と組み合わさった単語は、日本語のモーラ単位では撥音も一つのモーラとして数えることができるが、この歌では、[n] は一つの音として認識せず、[kon], [yan], [run]で、それぞれ一つのモーラとして発音している。
(b) 促音の脱モーラ化
1行目の「ちょっと」[chotto] は日本語のモーラ単位で数えると[cho.t.to]で3モーラになるが、この歌では [chot.to] という風に促音は独立して数えられず、2モーラになっている。また32行目の「きっと」[kitto]も本来は3モーラの単語であるが、[kit.to] の2モーラになり、促音は数えられていない。
(c) 長音の脱モーラ化
15行目の「そう」、31行目の「自由」「希望」など長音を含む単語は、日本語では [so.o] は2モーラ、[ji.yu.u] と [ki.bo.o] は3モーラになり、長音も一つの独立したモーラとして数えることができる。しかしこの歌では、[o:]、[u:]というように、切れ目のない長母音として認識され、一つの音符にまとめられている。
(d) 2モーラの二重母音化(1モーラ化)
1行目の「ぐらい」は [gu.ra.i]と3モーラで発音するが、この歌では[grai]という風に速く発音され、[u] が脱落し、[ai] が二重母音になり、1モーラで発音されているように聞こえる。また、9行目の「生活(くらし)」は [ku.ra.si] で本来3モーラであるが [ku] の [u] が脱落し、[kra] で1モーラになり、[kra.si] という風に2モーラに聞こえる。
(e) 韻
2行目の「darlin'」と「誰」は [da:(r)]という共通の頭韻を踏んでいる。
5行目の「ノータリン」、10行目の「だり」、17行目の「まり」、22行目の「語(がたり)」は、それぞれ「darlin'」と統一性を持たすため、英語のように発音し[a:(r)lin] の部分が脚韻を踏んでいる。
(f) 脱落
36行目の「誰かを」の「を」は後続の「想い」と同じ [o] という音なので、音の連続を避け先行の「を」は脱落している。
5.結論
近年の日本語の歌謡曲は英語の歌謡曲の影響を受けて、英語のような歌い方で歌われる場合が多く見られる。日本語と英語の歌の音特徴はどのようなものか、また最近の日本語の歌は英語の歌の影響を受けているのかについて、日本語と英語の音構造を比較しながら分析した。
二章では日本語と英語の音構造の違いとして、単語を分節する単位の違い、アクセントの違い、リズムのとり方、英語の音の脱落、韻の5つの面から分析した。2.1節では英語は音節単位、日本語はモーラ単位で単語を分節している違いについて述べた。英語の音節と日本語のモーラの共通点は、基本的には母音を一つの単位として数えることができる点である。英語の場合、単語がいくつの音節でできているかは、その語の中の母音の数で分かる。日本語のモーラは基本的に[母音]か[子音+母音]の形で一つのモーラとして数えることができる。音節とモーラの違いは、撥音、促音、長音、二重母音の数え方である。これらは、モーラではそれぞれ独立して数えることができるが、音節では一つの音節として独立できない。撥音と促音は、先行の音とくっついて一つのまとまった音節になるのである。長音は切れ目のない長母音として一つの音節として扱われ、[ai]などの日本語では2モーラの音は、二重母音として認識される。2.2節ではアクセントの違いについて考察した。英語は強勢アクセント言語で、強勢のある音節とない音節の区別が明瞭である。アクセントの位置によって単語の品詞や意味が異なる場合も見られる。特に複合語と句の違いはアクセントで表され、アクセントは重要な役割を果たしていると言える。一方、日本語は高低アクセント言語で、ピッチの高低によって「雨」、「飴」など同じ発音のものが区別される。2.3節ではリズムの違いについて考察した。日本語のリズム単位の基本はモーラであり、ほぼ同じ強さで等間隔に発話され、拍数が多くなれば発話時間も長くなる。一方英語のリズム単位は強弱アクセントであり、強音節の数が同じならば、文章が長くなっても、発話時間はほぼ等しくなる。つまり発話時間は、日本語はモーラの数(拍数)、英語は強音節の数に比例するのである。2.4節では英語の母音、子音、音節の脱落についての例を取り上げた。この音の脱落現象は、英語のリズム単位が強弱アクセントであることに因り、したがって、英語に特有の現象であると言える。日本語の歌にはこの現象が見られず、英語の歌にはこの現象がよく表れることを示した。2.5節では頭韻と脚韻について述べた。英語の童謡に脚韻が見られることから、韻を踏むという文化は昔から存在し、韻を踏むことで口調の良いリズムを作っていることが分かった。
三章では日本語と英語のそれぞれの音特徴が見られる歌を取り上げ検証した。"Yesterday" は、一音符一音節の英語らしい構造で、全ての行に脚韻が見られた。一方、「さくら」では一音符一モーラの、日本語らしい構造になっていた。
四章では英語の歌の影響を受けた日本語の歌を取り上げた。近年のJポップは英語の歌の影響を受け、"We Can't Stop the Music" のように、歌の一部にラップを含んでいるものが多く見られる。またラップには脚韻を踏んでいることが多く、脚韻している語には強アクセントがあるのも、英語の歌の影響だと思われる。また、「名もなき詩」のほとんどは、一音符一モーラが崩壊していて、2モーラが二重母音化したり、韻を踏んだりと、英語的な音特徴が多く表れている。
元々、日本語の歌には一音符一モーラという日本語らしい音特徴が見られたが、近年、英語の歌をよく耳にするようになり、日本語の歌は英語圏の歌の影響を受けるようになった。一音符一モーラが崩壊し、一音符二モーラで歌ったり、本来2モーラの単語が二重母音化したり、韻を踏んだり、アクセントをつけたりと、英語圏の歌の特徴を取り入れた歌が多くなってきている。日本語の歌に英語の音特徴を入れることによって、新鮮さを感じ、歌がかっこよく聞こえ、「名もなき詩」のような日本語らしく聞こえない歌が流行るのだろう。
上斗晶代、片山嘉雄、長瀬慶来 『英語音声学の基礎』 研究社出版 (1995)
窪園春夫 『日本語の音声』 岩波書店 (1999)
窪園晴夫、溝越彰 『英語の発音と英詩の韻律』 英潮社 (1991)
斉藤弘子、清水あつ子、竹林滋、渡邊未耶子 『初級英語音声学』 大修館書店 (1991)
原口庄輔 『音韻論』 開拓社 (1994)
http://www.isc.toyama-u.ac.jp/~hamada/song/song_top.html
http://www2.kget.jp/
http://www.songs-lyrics.net/