Alexander's Bridge 再検証


木下 恭子

 ウィラ・キャザー (Willa Cather) の処女作 『アレグザンダーの橋』 (Alexander's Bridge, 1912、 以下 AB と略す)1 は、 ヘンリー・ジェイムズの 影響が強い作品で本来のキャザーの作風とは異なる物語として読まれてきた。 キャザーはインタビューで この作品について、 次のように語っている。

In‘Alexander's Bridge’I was still more preoccupied with trying to write well than with anything else. It takes a great deal of experience to become natural. People grow in honesty as they grow in anything else. A painter or writer must learn to distinguish what is his own from that which he admires. I never abandoned trying to make a compromise between the kind of matter that my experience had given me and the manner of writing which I admired, until I began my second novel, O Pioneers! (Carroll 21)
つまりこの作品はまだ小説を書くことに精一杯で、 自らの作風を確立する以前のオリジナリティーに 欠ける作品とキャザー自身が認識していたと考えられる。 また、 AB が出版された 1912 年当時の評価は どのようなものであったのだろうか。 キャザーが 6 年間編集員を務めた McClure's Magazine の書評では、 Alexander tries to shake himself free, to go back to the time when life was at its highest, most adventurous pitch. He rebels against life, and life defeats him. ... It is a story of brilliant and unusual power. (O'Connor 38)と物語の筋のみに着目して優れた作品だと評価している。 こうした従来の AB に対する評価は、 1987 年に出版された Sharon O'Brien の Willa Cather: The Emerging Voice で、 キャザーのレズビアンであることが明らかになって以来、 セクシャリティ理論の発達により 読み直しの対象となっている。
 本論では、 父権制社会で主体として地位を築いたアレグザンダー (Alexander) が社会機構に振り舞わされ、 生命力にあふれた人間性を喪失する危機をかつての恋人ヒルダ (Hilda) との再会で回避したことで、 妻ウィニフレッド (Winifred) とヒルダとの間で揺れ動く 内面的苦悩を探ることによりいかなる状況に彼が置かれていたか考察する。 表面的には家庭小説の形式をとりながら、 Edith Lewis と 40 年近く生活を共にしたレズビアン・フェミニスト作家キャザーの処女作 AB をセクシャリティの観点から分析することで、 アレグザンダーはキャザーが対立概念と考える男、 悲劇的人物として描かれていることに焦点をあてて論じたい。


 アレグザンダーはキャザーの描く登場人物の区分方法によれば、 the bad guys――Bartley Alexander and Claude Wheeler (as a suckers for or victims of an unreconstructed version of the myth of progress, conquest, and destiny). (Lindemann 35) となり、 進歩、 征服、 運命という社会通念に適応することのできない軟弱で不道徳な男であり、 父権制社会で男性優位の構図を覆そうとするキャザーの意図がみられることを見逃すことはできない。 上流階級の妻ウィニフレッドとの結婚で立身出世に成功したアレグザンダーは世界的に有名な橋梁技師であり、 その外見は彼の社会的地位を体現するかのような印象を与える。
Under his tumbled sandy hair his head seemed as hard and powerful as a catapult, and his shoulders looked strong enough in themselves to support a span of any one of his ten great bridges that cut the air above as many rivers. (8)

カタパルトのような堅固で力強い頭と橋のスパンを支えることが出来るように見えるほど強い肩を もつアレグザンダーの強靱な肉体は、社会で主体として存在する男性を象徴していると思われる。 しかしながら、 彼の外面は内面にある弱さを隠していることが明らかにされる。 大学教授ウィルソン (Wilson) にアレグザンダーは正直な心情を吐露している。
After all, life doesn't offer a man much. You work like the devil and think you're getting on, and suddenly you discover that you've only been getting yourself tied up. A million details drink you dry. Your life keeps going for things you don't want, and all the while you are being built alive into a social structure you don't care a rap about. I sometimes wonder what sort of chap I'd have been if I hadn't been this sort; I want to go and live out his potentialities, too. (10-11)

社会という権力組織に組み込まれて働く男性は束縛されるだけであり、 外では人々から成功者と見なされた アレグザンダーは内面的に憂鬱になり、 外面と内面のずれが重荷となっているのは明らかである。 現在の状況から逃れて、 別の人生を歩んでみたいとさえアレグザンダーは考えている。 そして、 アイデンティティの概念2 からいえば、 アレグザンダーは自分の社会的立場を確立しながらも 充実感が得られず、 妻との間にも溝があり、 アイデンティティのゆらぎがアレグザンダーを不倫に 駆り立てた要因であることは確かだ。
 アレグザンダーの人間性を最も理解しているのは、 ウィルソンである。 なぜなら、 ウィニフレッドの ピアノ演奏を聴きながら、 he wondered how she squared Bartley. After ten years she must know him; and however one took him, however much one admired him, one had to admit that he simply wouldn't square. He was a natural force, ... (12) と、 アレグザンダーは自らを律することのできない、 自然の力の持ち主であり妻であっても彼を思いのままに扱うのは難しいとウィルソンは認識しているからである。 また、 ウィニフレッドに大学時代のアレグザンダーの印象をきかれて、 ウィルソンは powerfully equipped nature (13) を備えた性質が最も興味深かったと言っている。 強い力を備えた性質の持ち主が、 本来のアレグザンダーなのである。 そんなアレグザンダーが変容するきっかけとなったのは、 カナダで 出会った上流階級のウィニフレッドとの結婚にあることは明らかである。 アレグザンダー自身、 he seemed to himself like a different man (21) とウィニフレッドと出会ってから別人になったようだと述べている。 ウィニフレッドの属する社会秩序にあこがれて飛び込んでみたものの、 結婚生活においては十年以上たって 子供はいないし、 橋梁技師という地位を得ながらも社会機構に束縛されながら仕事をすることに失望した アレグザンダーは学生時代の生命力に満ちた人間性を失いかけてしまうのである。
 ボストンでは public man (27) として妻の理想とする夫を装うことに疲弊しながらも、 ロンドンでは ヒルダと会うことで彼女に自己を投影してアレグザンダーは精神的な満足を得る。 ヒルダの前では アレグザンダーは感情を抑制することなく、 学生時代に戻ったように自由に振る舞うことができる。 特に、 How jolly it was being young, Hilda! Do you remember that first walk we took together in Paris? We walked down to the Place Saint-Michel to buy some lilacs. Do you remember how sweet they smelled? (38)と若かった頃初めてライラックを買ったことをヒルダに語るアレグザンダーは、 生き生きとしている。 しかし、 ボストンでのアレグザンダーはクリスマスの飾り付けをした後、 The animation died out of his face, but in his eyes there was a restless light, a look of apprehension and suspense. He kept clasping and unclasping his big hands as if he were trying to realize something. (44) と生気を失いその目には心配と不安の色が浮かび、 別人のようになる。 つまり、 ジェンダー3 の枠に収まることのできない男、 それが アレグザンダーだといえる。 ウィニフレッドから 「男らしさ」 を期待されながら、 橋の建設に携 わって働き続けることに価値観を見出せなくなっているのだ。 アレグザンダーを取り巻く二人の女性、 妻ウィニフレッドとヒルダについては次章で述べたい。


 ウィニフレッドはどのような女性なのか、 それを象徴するエピソードがある。 結婚して 12 年目のクリスマスのプレゼントに、 アレグザンダーは Most women look silly in them. They go only with faces like yours――very, very proud, and just a little hard. (47)といい、 妻に真珠のイヤリングを贈る。 hard という言葉にウィニフレッドは敏感に反応して、 自分は厳しい妻ではないと否定して、 アレグザンダーも仕方なく同意している。 しかしながら、 妻から束縛されていると感じるアレグザンダーにとって、 hard という言葉がウィニフレッドを最も端的に示していることは明確である。 さらに、 強い女性ウィニフレッドは夫の苦悩に満ちた内面に理解をしていない。 仕事に疲れたという夫に対し、 心の底では仕事好きなはずだと信じて疑わない妻にアレグサンダーは、 自分のことを理解してもらうのは無理だとあきらめてしまう。
I'm tired of work, tired of people, tired of trailing about.... That's what you always say, poor Bartley! At bottom you really like all these things. Can't you remember that?... All the same, life runs smoothly enough with some people, and with me it's always messy sort of patchwork. It's like the song; peace is where I am not. How can you face it all with so much fortitude? (48-49)
 立身出世のため富裕なウィニフレッドとの結婚を選び、 旅回りの役者だった両親をもつヒルダにアレグザンダーは手紙で別れを告げ、 その後彼女のことは忘れてしまっていた。 再びアレグザンダーの心を捉えたアイルランド人の女優、 ヒルダはどのような女性なのだろうか。 人生に疲れ果てたアレグザンダーとは対照的に、 ヒルダは生命力にあふれる女性であることは次の二人の会話から明らかである。
I'm not tired at all. I was just wondering how people can ever die.... Life seems the strongest and most indestructible thing in the world.... I know I shan't die, ever! You see, I feel too--too powerful! You are--powerful! (64)
ヒルダは死神に負けない程生命力を感じていて、 powerful という言葉が彼女を端的に示している。 ウィニフレッドとヒルダは、 <生>のイメージに満ちた女性であり、 tired (48) という言葉を 繰り返すアレグザンダーは<死>のイメージを漂わせる男性である。 この<生>の要素を持つ エロス4 的女性に対し、 <死>の要素と結びつくタナトス的男性という構図が 浮かび上がる。 そして、 アレグザンダーの自我を 「束縛」 するウィニフレッドと 「解放」する ヒルダは、 対照的な女性だと David Stouck は述べている。
Alexander's wife, Winifred, is a handsome woman of both culture and means and is a symbol of her husband's ambitions and achievements; she is appropriately described by such adjectives as proud, handsome, hard, self-sufficient, composed.... In her person and manner Hilda is the antithesis of Winifred Alexander: she is soft, supple, round, girlish, eager...(Stouck 15)
自信過剰なウィニフレッドに不満を感じ、 寛容なヒルダにアレグザンダーが自己を投影するのは当然のことといえよう。 アレグザンダーはウィニフレッドとの結婚生活では精神性が得られず The world is all there, just as it used to be, but I can't get at it any more.(56) と家庭に安住できないでいる。 ヒルダとの恋愛によって、 内面性を与えられ本来の自分として あるべき姿を取り戻していることは明らかである。 次章ではアレグザンダーの死が意味するものについて述べたい。


 10 章において、 一度はヒルダとの生活を夢見ながらも、 ウィニフレッドは the woman who had made his life, gratified his pride, given direction to his tastes and habits. (76) であり、 彼女のおかげで現在の自分があることを認識した アレグザンダーはヒルダの元へ行くと決心しながらも葛藤する。 そして、 橋が崩壊して水中でおぼれながらアレグザンダーは、 一度は死の誘惑に負けそうになりながら、 妻が自分を励ます声を聞いて生きたいという気持ちを固めたが溺死してしまう。 この結末には、 キャザーのセクシャリティに対する考えが反映されていると考えられる。
He [Alexander] is an engineer, building a bridge, and at the end of the book, his bridge falls down and he drowns with it. Clearly this is a deconstruction of masculine aesthetics, a critique of the male need to dominate. (Acocella 53)
つまり、 アレグザンダーの死はキャザーの父権制社会における男性支配に対する批判と読めるのである。 アレグザンダーにウィニフレッドが注ぐ愛情は、 彼にとっては 「束縛」 を意味するのに他ならない。 ウィニフレッドにとって重要なことは、 「死」 によってアレグザンダーを独占することができるという事実そのものである。 妻の存在は何事にもよる束縛を嫌うアレグザンダーにとって、 断ち切りたい絆であり呪縛である。 アレグザンダーの 「死」 は彼に 「忠実な夫」 であることの 「義務」 からの解放をもたらしたように見えた。 しかし、 その一方で、 ウィルソンがアレグザンダー亡き後ウィニフレッドに会いに行った時、 まるで故人がそこにいるかのような雰囲気が家に漂い She never lets him go. (91) と語るように、 死によって妻から解放されたかのようなアレグザンダーは束縛が強まった立場に置かれていることが認識させられる。 男 vs. 女の対立図式で男=主体、 支配、 女=客体、 従順という従来のセクシャリティの構図を逆転させることで、 キャザーは性的差異の重要性に注目して AB の主題としたと考えられる。 セクシャリティの観点からアレグザンダーの生き方を再検討することで、 キャザーが自らの作風を確立する前の作品として、 異性愛をテーマにした点でも異彩をはなつ AB には確実にレズビアン・フェミニスト的視点の萌芽がみられる作品として読まれるべきなのである。

テキストは、 Alexander's Bridge. Oxford UP, 1997 を使用した。
福島章編 『精神分析の知 88』 (新書館、 1997 年) 31 頁において、 「アイデンティティとは“自分が自分として存在している”という生き生きとした実存的な意識とその自分が社会の一員として社会との間に“内的な一貫性”をもって生かされているという安心感が統合されたところに成り立っている概念である。」 と述べられ、 橋梁技師として社会的に貢献しながらも、 本来の人間性を喪失しかけているアレグザンダーのアイデンティティがゆらいでいると解釈することができる。
土田知則・神郡悦子・伊藤直哉著 『現代文学理論』 (東京、 新曜社、 1996 年) 112 頁において、 ジェンダーとは 「われわれの社会や文化のなかで、 生物学的生殖器に付随したさまざまな機能は、 文化的生殖器として象徴化され、 社会的役割、 文化的役割に結びつく。 その結果、 男性は“男らしさ”を求められ、 女性は“女らしさ”を求められる。 ジェンダーが産み出すものとは、 “男らしさ”や“女らしさ”で連想されるもとを列挙すればよい。 男は家の外で働き、 家族を守り、 経済活動をし、 政治活動をし、 力強い言葉遣いをし、 多少粗野な行動はかえってその価値を高める……。」 と解説されている。
今村仁司編 『現代思想を読む事典』 (東京、 講談社現代新書、 1999 年) 95 頁において、 エロス/タナトスについて 「『快楽原則の彼岸』 で明らかにされたフロイトの第三の欲動論、 フロイト自身は生の欲動、 死の欲動という用語でこれを表現しており、 特にタナトスの語は後にシュテーケルによって導入されたものである。 フロイトは最初の欲動論において、 性欲動と自己保存欲動とを詩人シラーの“愛か飢えか”という言葉になぞらえ、 群と個の対立という局面でとらえようとした。 対してエロス、 タナトスの対立においては、 愛と憎しみといったエンペドクレス的二大対立の中で描こうとしている。 まずエロスとは性欲動という枠をはるかに越え、 生物にあまねく存在し、 その成長を促し、 より大きな統一と維持、 発展と躍動とに導き、 死を遠ざけるものとされている。 対して、 タナトスの語は、 生以前の分離離散した無機的状態へ立ち戻ろうとする傾向全体を指し、 結合や統一の破壊という保守的退行的な側面をとらえて用いられる。」 と述べられている。


Acocella, Joan. Willa Cather and the Politics of Criticism. Lincoln and London: U of  Nebraska P, 2000.
Carroll, Latrobe. Willa Sibert Cather, Willa Cather in Person: Interviews, Speeches, and   Letters. Ed. L. Brent Bohlke. Lincoln: U of Nebrasca P, 1986.
Cather, Willa. Alexander's Bridge. New York: Oxford UP, 1997.
O'Brien, Sharon. Willa Cather: The Emerging Voice. New York: Oxford UP, 1987
O'Connor, Margaret Anne. Willa Cather: The Contemporary Reviews. Cambridge: Cambridge UP, 2001.
Lindemann, Marilee. Willa Cather: Queering America. New York: Columbia UP, 1999.
Stouck, David. Willa Cather's Imagination. Lincoln: U of Nebraska P, 1975.


The Chukyo University Society of English Languageand Literature
Last Updated: Thursday, April 10, 2003